苦悩のバンド生活
僕の夢は、バンドで一生食っていくことでした。
有名になって好きな音楽で印税生活…
バンドは本当に真剣に取り組みました。
【高校時代】
軽音部とバレー部に所属。
バレー部ではキャプテンを任され、部員を引っ張っていました。
人数は20名ほど。人数はそんなに多くありませんが、
部員を統一することの難しさを知りました。
「後輩に負けてたまるかー!」
っと走りまくってましたね!
ただ、背が小さいのでアタックはボロ負けでしたw
軽音部では、僕らは、一年の時から期待の星扱いされてました。
なんでかというと、メンバー全員中学から同じバンドを組んでいて、
すでにワンマンライブも経験済みだったからです。
学園祭も1年生ながら、
オーディションを勝ち抜き見事出場できました。
そして3年生では、トリを飾り、何百人の前でアツいライブをしました。
そしてその勢いは学校だけではおさまらず、
大阪の高校生限定バンドオーディション
「Cool キッズ」という大会で優勝。
ここから、長いバンド生活が始まります。
【大学時代】
バンドか大学か??
僕は、両方を選びました。
「絶対にバンドをやりながら卒業してみせる!」
そう思ってしましたが、
一年で20単位しかとれず…
僕はいつのまにか、バンドが忙しいからと言って自分に甘えていました。
これは、本当に親を泣かせることになる。
っと思い、2年からは毎日学校に行きました。
テストもちゃんと受けて順調に単位を取りました。
友達に助けられました。
そして、ちょうどこの頃からバンドが忙しくなります。
CDの全国発売決定です。
ついに僕らのCDが、タワレコ含む、全国のお店に置かれます。
大阪梅田店では、ウィークリーチャート1位を獲得しました。
着うたダウンロード数も2位です。
この頃は、ノリに乗ってましたねw
ライブも月15本ペースで行い、全国ツアーに行きます。
その間普通に大学のテストがあるので、しょっちゅう新幹線で帰ってきてました。
ライブ⇒打ち上げ⇒テスト⇒ライブ
かなりきつかったです。
大阪で一番大きいライブハウスZEPP OSAKAでも演奏しました。
あのときの景色は忘れられません。
僕は、完全にバンドマンでした。
周りの友達とも徐々に距離ができてきます。
みんな就職活動です。
僕は、まじめに学校に行ってますが、髪の色は明るいし、1人浮いてました。
僕は、完全に就職する気はなかったんです。
でも周りの会話といえば、
「●●会社から内定もらったで~!」
「●●は大手やからな!将来安泰やわ!」
好きでもない仕事をすることに抵抗がありました。
正直、全然羨ましくなかったです。
ゼミの先生にも、
「SHOPUU君はいったいどうするの!??」
って聞かれましたが、
僕はバンドで飯食っていきます!
っときっぱり言いました。
今頃みんな普通のサラリーマンになってると思います。
【フリーター&バンド時代】
バンドを続けながら、大学をちゃんと卒業したのは、僕の誇りです。
自分でも頑張ったなぁと思います。
バンドを続けるには、お金が必要で、
バイトをしまくりました。
ライブがある日は、バイトに入れないので、それ以外は全てバイトです。
そのお金は、バンドに消えます。
今思えば、自己投資ですね。
とりあえず、曲を作りまくり、ライブをしまくっていたら、
ある会社から声がかかりました。
あのB’zや倉木麻衣が所属する「Being」という会社です。
さっそく話を聞きに六本木で専務と待ち合わせです。
高級ステーキ屋で話しました。
専務は若い男の子に飯を奢るのが好きみたいで、
ありえないくらい料理を頼んでくれました。
食えないですw
その会話もすごいもので、
「B’zの稲葉君の給料は●秒●万円だよ」
っとかさりげなく言ってました。
「今度B’zのライブ見て勉強してきい!」
っと、ファンクラブの人でもなかなか取れない、
シークレットライブにも招待してくれました。
この面会で、契約が決まり、1枚CDをリリースしました。
売れたか売れてないかと言われたら…
そんなに売れてないですw
その間、半年で全国各地で100本ライブするというツアーを実行しました。
月20本の計算です。
なかなか家に帰れませんし、お金もなかったです。
炊飯器と缶詰を持参して、食費を浮かせてました。
寝泊りは、ほとんど車でした。しかも冬。
100本中ホテルに泊まったのは、1回だけ。秋田で。
さすがに、冬に秋田で4日オフはきついです。
その後、何枚かCDリリースした後、解散の話がでてきます。
【解散~その後】
自分たちからバンドがなくなることが不思議でした。
普通の暮らしがしたい…
普通に朝会社に行って、夜帰ってきて、
妻や子供に迎えられながら幸せに過ごす。
休日は、家族でお出かけ。
普通かもしれませんが、すごく理想でした。
いよいよ、解散ライブの日。
大阪に全国各地から500人以上のファンが集まり会場を埋め尽くしました。
あの景色は絶対お金では買えません。
僕の一生の宝物です。
こんなたくさんの人に支えられバンドができたことを幸せに思います。
解散後、
バンド人生の次は、第二の夢だった給食のおじちゃんになりました。
しかし…そこで厳しい現実を知ります…つづく
ご朗読ありがとうございました。